ラグビーワールドカップなどの国際試合を観戦していて、ふと疑問に思ったことはありませんか?「昔のラグビー選手は立派な襟がついたシャツを着ていたのに、最近のユニフォームはツルツルしていて襟がないものばかりだ」と。実は、ラグビーのユニフォームにおける「襟(えり)」の有無には、ラグビーというスポーツが歩んできた長い歴史と、勝つためのテクノロジーの進化が深く関係しています。かつては紳士の証として必須だった襟が、なぜ現代のフィールドから姿を消しつつあるのか、あるいは形を変えて残っているのか。そこには、単なるファッションの変化だけではない、驚くべき理由が隠されていました。
ラグビーのユニフォームに襟があった「なぜ」と歴史的背景

そもそも、激しいコンタクトスポーツであるラグビーにおいて、なぜ邪魔になりそうな「襟」が最初からついていたのでしょうか。その答えを探るためには、ラグビーの発祥地であるイギリスの歴史と文化に目を向ける必要があります。現代の機能性重視のウェアとは全く異なる、当時の価値観や社会的背景が、あの白い襟には込められているのです。
英国パブリックスクール発祥の「紳士のスポーツ」としての証
ラグビーの起源は19世紀のイギリス、パブリックスクールと呼ばれる名門私立学校にあると言われています。当時のこれらの学校に通う生徒たちは、将来の国を背負うリーダー階級、いわゆる「紳士(ジェントルマン)」の卵たちでした。彼らにとってスポーツは単なる遊びではなく、人格形成のための教育の一環だったのです。
当時の服装規定において、シャツに襟があることは「正装」としての最低限の条件でした。たとえ泥まみれになるスポーツをする時であっても、彼らは紳士としての品位を保つ必要がありました。そのため、初期のラグビーウェアは運動着というよりも、日常着の延長線上にあり、しっかりとした襟がついていることが当たり前だったのです。この「襟」は、彼らが荒々しいフットボールに興じている間も、紳士階級であることを示すアイデンティティの一部だったと言えるでしょう。
「アフターマッチファンクション」とネクタイの文化
ラグビー独自の文化である「アフターマッチファンクション」も、ユニフォームに襟が必要だった大きな理由の一つです。ラグビーには「ノーサイド(試合が終われば敵味方関係なく称え合う)」という精神があり、試合終了後には両チームの選手、レフリー、関係者が集まって食事や会話を楽しむ交流会(ファンクション)が必ず行われます。
伝統的なラグビー文化では、このファンクションはフォーマルな場とされており、選手たちは試合後にブレザーとネクタイを着用して参加するのがマナーでした。昔のラグビー場には現在のような整ったシャワー設備や着替えのスペースが十分でないことも多く、選手たちは試合で着たジャージの上からそのままブレザーを羽織り、ネクタイを締めることもありました。つまり、ラグビーのジャージは「ネクタイを締められるシャツ」である必要があったのです。襟とボタンがついたデザインは、この社交の場に対応するための機能的なデザインでもありました。
当時の素材「コットン」と耐久性の関係
歴史的な背景に加え、当時の繊維技術の限界もデザインに影響を与えていました。化学繊維が発達していなかった時代、スポーツウェアの主役は「コットン(綿)」でした。コットンは肌触りが良く吸水性に優れていますが、生地として強度を持たせるためには、ある程度の厚みが必要になります。
特に首周りは、着脱の際に引っ張られたり、スクラムやタックルで強い力が加わったりするため、非常に破れやすい箇所です。そのため、生地を何重にも重ねて補強し、丈夫なキャンバス地などで襟を作ることで、首元の強度を確保していました。あの分厚い白い襟は、単なる飾りではなく、コットン製の重たいジャージが激しいプレーで崩壊しないようにするための、当時の精一杯の補強策でもあったのです。
現代ラグビーで襟なしユニフォームが増えた実用的な理由

時代は進み、ラグビーはアマチュアスポーツからプロ化の道を歩み、よりスピーディーでフィジカルな競技へと進化しました。それに伴い、ユニフォーム(ジャージ)に対する要求も「品位」から「勝利」へとシフトしていきます。現代のラグビーにおいて、なぜクラシックな襟が姿を消したのか、その合理的な理由を解説します。
対戦相手に掴まれるリスクを極限まで減らすため
襟がなくなった最大の理由は、対戦相手にとって格好の「取っ手」になってしまうからです。ラグビーのタックルにおいて、相手のジャージを掴んで引き倒すことは有効な手段の一つですが、特に首元の襟は指をかけやすく、一度掴まれると振りほどくのが困難です。
襟を掴まれて引きずり倒されることは、攻撃側にとって大きな不利になります。また、襟を掴んで振り回すようなタックルは、首への負担が大きく危険でもあります。現代のジャージは、相手に指一本触れさせない、あるいは触れられても滑って掴めないことを理想としています。そのため、指がかかる隙間となる「襟」や「ボタンの段差」は、勝利を追求する上で排除すべき邪魔な要素となってしまったのです。現在のトップリーグのジャージが首にぴったりと張り付くような丸首(クルーネック)や独自の形状をしているのは、この「掴ませない」という防御的な意図が強く働いています。
素材の進化と「重さ」の解消
かつてのコットン製ジャージには致命的な弱点がありました。それは「水を含むと重くなる」ことです。雨の多いイギリスや日本での試合、あるいは激しい運動による大量の汗を吸ったコットンジャージは、試合後半には数キログラムもの重さになり、選手たちの体力を奪いました。分厚い襟は特に水を吸いやすく、首元に濡れた雑巾を巻いているような不快感を与えました。
現代のポリエステルを中心としたハイテク素材は、軽量で撥水性が高く、汗をかいてもすぐに乾きます。これらの新素材は強度が非常に高いため、昔のように襟をつけて首元を補強する必要がなくなりました。機能的にも不要となり、パフォーマンスの妨げにもなる重たい襟は、素材の進化とともにその役目を終えていったのです。
タイトフィット化による空気抵抗と可動域の改善
2003年のラグビーワールドカップ頃から顕著になったのが、ユニフォームの「ピチピチ化(タイトフィット)」です。以前のようなダボッとしたシルエットは姿を消し、ボディラインに完全に密着するウェアが主流になりました。これは、相手に掴まれる箇所を減らすだけでなく、筋肉の揺れを抑えて疲労を軽減したり、空気抵抗を減らしたりする効果を狙ったものです。
このように極限までフィット感を高めたウェアにおいて、立体的な「襟」は異物でしかありません。首周りの可動域を確保し、視界を遮らないようにするためにも、襟はよりシンプルでフラットな形状へと進化しました。選手たちが首を激しく左右に振って状況確認をする際、襟が肌に擦れたり邪魔になったりすることを防ぐため、現代のジャージの首元は非常に滑らかに設計されています。
技術と伝統の融合:最新ジャージに見る「襟」の新しい形

機能性を追求した結果、一度は絶滅しかけた「襟」ですが、実は完全に消え去ったわけではありません。ラグビーにおける襟の伝統を重んじる精神と、最新のテクノロジーを融合させ、新しい形で「襟(のようなもの)」を取り入れているケースも多々あります。ここでは、メーカーの技術革新によって生まれた新しい首元のデザインについて紹介します。
カンタベリーが開発した革命的技術「ループネック」
ラグビーウェアの老舗ブランドである「カンタベリー(Canterbury)」は、襟の伝統と機能性を両立させるために画期的な発明をしました。それが「ループネック」と呼ばれる特殊な襟の形状です。これは一見すると立ち襟のように見えますが、実際には1本の繋がった生地を輪のように縫製して作られています。
この形状の特徴は、通常の襟のように端がめくれることがなく、相手が指をかけて掴むことが非常に難しいという点です。また、非常に高い耐久性を持ち、激しいスクラムで頭部が擦れても破れにくくなっています。「襟としての品格」を残しつつ、「掴まれない機能」を持たせたこの発明は、多くのナショナルチームのジャージに採用され、現代ラグビーにおける襟のスタンダードの一つとなりました。
安全性を高めた「ラバーボタン」の導入
伝統的なラガーシャツにはプラスチックや貝などの硬いボタンが使われていましたが、コンタクトプレーの際にこれらが割れると、破片が選手の肌を傷つける凶器になりかねません。そこで導入されたのが、柔らかい「ラバーボタン(ゴム製ボタン)」です。
現代の試合用ジャージではボタン自体が姿を消しつつありますが、クラシックなデザインを復刻した記念ジャージや、練習用ウェアなどでは、このラバーボタンが今でも使われています。ぶつかった時の衝撃を吸収し、割れる心配のないこのボタンは、選手の安全を第一に考えるラグビー用具の進化を象徴する小さな、しかし重要なパーツです。
「だまし絵」のようなプリント襟の登場
近年のユニフォームデザインで面白いのが、機能的には襟がない丸首のジャージでありながら、デザインとして「襟の絵」がプリントされているケースです。これは「サブリメーション(昇華プリント)」という技術の向上により可能になった手法です。
例えば、過去のワールドカップにおける日本代表や、伝統を重んじる海外のクラブチームなどで、遠目に見ると白い襟がついているように見えるデザインが採用されたことがあります。これは、「機能性は最新のものを維持したいが、伝統的なラグビースピリットも表現したい」というチームの想いを具現化したものです。物理的な布の襟は排除しつつ、視覚的な情報として襟を残すという、現代ならではのハイブリッドな解決策と言えるでしょう。
GPSポケットと首元の進化
現代ラグビーのジャージの背中、首の付け根あたりに小さな「こぶ」のような膨らみがあるのを見たことがありますか? これは走行距離や心拍数、衝突の強さなどを計測するGPSデバイスを入れるためのポケットです。このデバイスを安全かつ確実に固定するため、現代のジャージの首元は非常に精密に設計されています。
もし昔のような緩い襟付きシャツであれば、激しい動きの中でデバイスが暴れてしまい、正確なデータが取れないどころか怪我の原因にもなります。首周りの生地を強化し、身体に密着させる構造は、単に掴まれないためだけでなく、こうした最新のハイテク機器を搭載するための「プラットフォーム」としての役割も果たしているのです。
ファンファッションとしての襟付きジャージの人気

フィールド上では機能性を優先して姿を消しつつある襟ですが、フィールドの外、つまり観客席や街中では、今でも「襟付き」のラガーシャツが根強い人気を誇っています。なぜファンは、最新の選手と同じモデルではなく、あえてクラシックな襟付きを選ぶのでしょうか。
「ラガーシャツ」という独立したファッションアイコン
ファッション業界において「ラガーシャツ(ラグビージャージ)」と言えば、太いボーダー柄に白い襟がついた長袖のコットンシャツを指すことがほとんどです。これは「アイビールック」や「プレッピースタイル」と呼ばれるトラディショナルなファッションの定番アイテムとして、長い間愛され続けてきました。
しっかりとした白い襟は、カジュアルな中にも清潔感や知的な印象を与えます。この「きちんと感」こそが、他のスポーツウェア(例えばサッカーのユニフォームやバスケットボールのタンクトップ)にはない、ラガーシャツ独自の魅力です。街着として着る場合、選手が着ているようなピチピチのポリエステル素材よりも、風合いのあるコットンの襟付きシャツの方がコーディネートしやすく、年齢を問わず着られるため、多くのファンに支持されています。
観戦スタイルと「レプリカ」の違い
ラグビーの応援グッズとして販売されているジャージには、大きく分けて「選手着用モデル(オーセンティック/テストジャージ)」と「レプリカジャージ」の2種類が存在することがあります。選手着用モデルは先述の通り、極限までタイトで襟がないハイテク仕様ですが、ファンのために作られたレプリカモデルでは、あえてシルエットを少し緩めにしたり、デザインとして襟を付けたりして、着やすさを重視したアレンジが加えられることがあります。
特に「伝統的な強豪国」のファンほど、昔ながらの襟付きジャージ(コットン素材の復刻版など)を着てスタジアムに足を運ぶ傾向があります。彼らにとってその襟は、長い歴史への敬意と、古き良きラグビー文化への愛着を表現するシンボルなのです。
古着市場での再評価
近年、90年代ファッションのリバイバルブームに伴い、古着市場でも昔の襟付きラグビージャージが高値で取引されています。特に、素材がまだコットンとポリエステルの混紡だった頃の、肉厚で頑丈なジャージは「一生モノ」として評価されています。
使い込むほどに味が出るコットンの風合いや、クタクタになっても破れない頑丈な襟は、現代のファストファッションにはない魅力です。若い世代がファッションとしてこれを取り入れることで、ラグビーを知らない層にも「襟付きのラガーシャツ」というスタイルが認知され続けています。
まとめ:ラグビーのユニフォームの襟はなぜ変化したのか
ラグビーのユニフォームにおける「襟」の変遷は、そのままラグビーという競技の進化の歴史でもありました。
もともとは「英国紳士の正装」としての品位を守り、試合後の社交場であるアフターマッチファンクションでネクタイを締めるために不可欠だった襟。しかし、勝利への執念とプロ化の波は、襟を「対戦相手に掴まれる弱点」と見なし、機能性の追求とともにその姿を消していきました。重いコットンから軽量なハイテク素材へ、ゆったりとしたシルエットからボディラインに密着するタイトフィットへ。この進化の過程で、物理的な襟は邪魔な存在となったのです。
それでも、襟が完全に過去のものになったわけではありません。カンタベリーのループネックのように機能と伝統を融合させた技術や、プリントによる視覚的な表現、そしてファッションアイテムとしてのラガーシャツなど、「襟が持つ精神性」は形を変えて受け継がれています。
次にラグビーの試合を観戦する際は、ぜひ選手の首元に注目してみてください。そこには、勝利のために極限まで無駄を削ぎ落とした機能美と、紳士のスポーツとしての誇りが、見えない形で刻まれているはずです。


