山田章仁 ラグビー界のファンタジスタ!華麗なる経歴と現在の活躍を徹底紹介

山田章仁 ラグビー界のファンタジスタ!華麗なる経歴と現在の活躍を徹底紹介
山田章仁 ラグビー界のファンタジスタ!華麗なる経歴と現在の活躍を徹底紹介
代表・リーグ・選手

ラグビー日本代表として数々の伝説を残し、今なお現役選手としてフィールドを駆け回る山田章仁選手。「ラグビー界のファンタジスタ」とも称される彼のプレーは、見る者すべてを魅了する独特の華やかさを持っています。2015年のワールドカップで見せたあの衝撃的なトライは、今でも多くのファンの脳裏に焼き付いていることでしょう。

しかし、山田章仁選手の魅力はグラウンドの中だけにとどまりません。アメリカンフットボールへの挑戦、海外リーグへの移籍、そしてモデルの山田ローラさんとの素敵な家庭生活など、その生き方そのものがエキサイティングで挑戦に満ちています。この記事では、山田章仁選手の輝かしい経歴から知られざるエピソード、そして九州でプレーする現在の姿までを余すところなくお伝えします。

  1. 山田章仁とラグビー:類まれなる才能の原点と歩み
    1. 5歳で楕円球と出会い、才能を開花させた少年時代
    2. 慶應義塾大学での活躍とプロへの強いこだわり
    3. 日本代表への道のりと遅咲きのブレイク
  2. 伝説の「忍者トライ」と2015年W杯の衝撃
    1. 世界がどよめいたサモア戦の「回転トライ」
    2. 「ブライトンの奇跡」における山田章仁の役割
    3. 怪我との戦い、そして次世代へのバトン
  3. 異色の経歴:アメフト挑戦から海外リーグまで
    1. 現役ラグビー選手がアメフトへ?前代未聞の挑戦
    2. スーパーラグビー「サンウルブズ」と海外移籍
    3. 「今夜が山田」だけじゃない、メディアでの活躍
  4. プレースタイル:観客を魅了するエンターテイナー
    1. 決定力抜群の「トライ・スコアリング・マシーン」
    2. 変幻自在のステップと「回る」動き
    3. メンタルの強さと「楽しむ」姿勢
  5. 華麗なるプライベート:妻・ローラさんと4人の子供たち
    1. おしどり夫婦として知られる山田ローラさんとの絆
    2. 4人の子供たちと賑やかな山田家
    3. ハワイ移住と家族ファーストのライフスタイル
  6. 現在の所属と今後の展望:九州での新たな挑戦
    1. 故郷・福岡へ凱旋!九州電力キューデンヴォルテクスでの活躍
    2. ベテランとしての役割と地域貢献
    3. 40歳を迎えるシーズン、その先に見据えるもの
  7. まとめ:山田章仁はこれからも走り続ける

山田章仁とラグビー:類まれなる才能の原点と歩み

山田章仁選手というアスリートを語る上で、彼がどのようにしてラグビーと出会い、その才能を開花させていったのかを知ることは欠かせません。幼少期から学生時代にかけての歩みは、後のスーパースター誕生を予感させるエピソードに満ちています。ここでは、彼のルーツと若き日の活躍について詳しく掘り下げていきましょう。

5歳で楕円球と出会い、才能を開花させた少年時代

山田章仁選手がラグビーを始めたのは、わずか5歳の時でした。福岡県北九州市というラグビー熱の高い地域で生まれ育った彼は、YMCAラグビースクール(現・ヤングベアーズ)で楕円球を追いかけ始めます。当時の指導者や周囲の大人たちは、彼の非凡な運動能力とセンスに早くから気づいていたと言われています。子供の頃から足が速く、ボールを持つと誰にも止められないようなランニングを見せていました。

その後、鞘ヶ谷ラグビースクールに進むと、彼の才能はさらに磨かれていきます。このスクールは、後に日本代表で共に戦うことになる五郎丸歩選手も所属していた名門です。幼い頃からハイレベルな環境で切磋琢磨することで、山田選手特有の「相手をかわす感覚」や「トライへの嗅覚」が養われていきました。彼のプレーの根底にある楽しそうに走る姿は、この頃から変わっていません。

中学校卒業後は、地元の名門である小倉高校に進学します。高校ラグビー界でも屈指の強豪校において、山田選手は1年生の時からレギュラーの座を勝ち取りました。上級生に混じっても全く引けを取らないプレーを見せ、瞬く間にチームの中心選手へと成長していきます。この頃にはすでに、将来の日本代表入りを嘱望される存在となっていました。

高校時代にはU17日本代表にも選出されるなど、その名は全国区となっていきます。しかし、山田選手自身は単にエリート街道を歩むことだけに満足してはいませんでした。常に世界を見据え、自分のプレーがどこまで通用するのかを試したいという欲求を抱き続けていたのです。このハングリー精神こそが、彼のキャリアを支える大きな原動力となっています。

慶應義塾大学での活躍とプロへの強いこだわり

高校卒業後、山田選手は慶應義塾大学総合政策学部へと進学します。伝統ある慶應義塾體育會蹴球部に入部すると、ここでも1年生から試合に出場する快挙を成し遂げました。大学ラグビー界という高いレベルの中でも、彼の決定力はずば抜けていました。対抗戦や大学選手権といった大舞台で、観客を沸かせるトライを量産し、慶應の「タイガージャージ」の象徴的な存在となっていきます。

大学時代にはU19日本代表、U23日本代表にも選出されました。特筆すべきは、大学2年生の時にオーストラリアへのラグビー留学を経験していることです。当時の日本の大学ラグビー界では、シーズン中に主力選手が留学でチームを離れることは異例中の異例でした。しかし、彼は自らの成長のために海外の環境に身を置くことを選んだのです。

この留学経験が、山田選手のプロ意識を決定づけるものとなりました。海外の選手たちがラグビーを職業として捉え、生活をかけてプレーする姿に感銘を受けたのです。日本ではまだ「企業スポーツ」という枠組みが一般的だった時代に、彼は明確に「プロラグビー選手」としてのキャリアを志すようになります。この決断が、後の彼のユニークなキャリアパスを形成することになりました。

大学卒業後の進路にも、その強い意志が表れています。2008年、彼はホンダヒートとプロ契約を結びました。当時、トップリーグの下部リーグにあたるトップウェストに所属していたチームを選んだことも周囲を驚かせましたが、彼は「プロとしてプレーできる環境」を最優先に選んだのです。ここから、山田章仁というプロアスリートの挑戦の旅が本格的にスタートしました。

日本代表への道のりと遅咲きのブレイク

学生時代から「天才」と呼ばれ続けた山田選手でしたが、日本代表(フル代表)への定着には意外にも時間を要しました。各年代の代表には選ばれていたものの、エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)体制となるまでは、なかなか桜のジャージを着てワールドカップのような大舞台に立つチャンスが巡ってこなかったのです。これには、彼のプレースタイルが当時の日本代表の戦術と合わなかった時期があったことや、怪我の影響もあったかもしれません。

しかし、2010年に移籍したパナソニックワイルドナイツ(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)での活躍が、状況を大きく変えました。国内最高峰のリーグでトライ王争いを演じ、チームの優勝に貢献する姿は、誰の目にも明らかな輝きを放っていました。特に2012-2013シーズンには、開幕から7試合連続トライという当時の新記録を樹立し、その決定力が世界レベルであることを証明してみせたのです。

そしてついに2013年11月、ロシア戦で日本代表初キャップを獲得します。当時28歳、ラグビー選手としてはベテランの域に差し掛かる年齢でのデビューでした。これを「遅咲き」と呼ぶ人もいますが、決して才能が埋もれていたわけではありません。彼はずっと輝き続けていましたが、ようやく時代と日本代表が彼に追いついた、そう表現する方が正しいかもしれません。

代表に選ばれてからの山田選手の活躍は、まさに水を得た魚のようでした。エディー・ジョーンズHCが掲げる「アグレッシブなラグビー」において、山田選手の予測不能な動きと一瞬で相手を置き去りにするスピードは、欠かせない武器となりました。こうして彼は、2015年のワールドカップイングランド大会のメンバーに名を連ねることになったのです。

伝説の「忍者トライ」と2015年W杯の衝撃

山田章仁選手の名前を世界に知らしめた出来事といえば、やはり2015年のラグビーワールドカップイングランド大会でしょう。日本代表が南アフリカ代表を破る「ブライトンの奇跡」を起こしたこの大会で、山田選手もまた、歴史に残るスーパープレーを披露しました。ここでは、あの熱狂のサモア戦と、彼が世界に見せつけた「忍者」のような動きについて詳しく解説します。

世界がどよめいたサモア戦の「回転トライ」

2015年10月3日、日本代表対サモア代表の一戦。日本にとって、決勝トーナメント進出の望みをつなぐためには絶対に負けられない、そしてボーナスポイントも獲得したい重要な試合でした。この試合に先発出場した山田選手は、前半終了間際に伝説となるプレーを見せます。

前半のアディショナルタイム、日本代表は敵陣深く攻め込んでいました。ボールが右サイドに展開され、大外で待っていた山田選手にパスが渡ります。目の前にはサモアの巨漢ディフェンダーが立ちはだかっていました。普通ならタッチラインの外に押し出されるか、激しいタックルで止められてしまう場面です。しかし、山田選手はここで驚くべき動きを見せました。

タックルに来た相手に対し、彼は自らの体を空中でクルリと回転させたのです。まるでフィギュアスケートのジャンプか、武道の受け身のような動きで相手のタックルを無力化し、そのままインゴールへと飛び込みました。これが後に「忍者トライ」として世界中のメディアで称賛されたスーパープレーです。

このトライは、単なる身体能力の高さだけでなく、山田選手の冷静な判断力と独創性を象徴するものでした。「まともにぶつかっては勝てない」と瞬時に判断し、相手の力を利用して回転するという発想は、まさに彼にしかできない芸当です。このトライによって日本代表はリードを広げ、その後の勝利への大きな勢いをつけることになりました。

「ブライトンの奇跡」における山田章仁の役割

サモア戦のトライが有名ですが、山田選手は歴史的な勝利となった初戦の南アフリカ戦にも出場していました。この試合、彼は持ち前の攻撃力だけでなく、献身的なディフェンスでもチームに大きく貢献しています。世界最強のフィジカルを誇る南アフリカ選手たちに対し、山田選手は低く突き刺さるタックルを何度も繰り返し、相手の攻撃の芽を摘み取りました。

当時の日本代表は、エディー・ジョーンズHCの下で世界一過酷と言われるトレーニングを積んでいました。山田選手もその厳しい練習に耐え抜き、世界と戦えるフィジカルとスタミナを手に入れていたのです。南アフリカ戦の勝利は、最後の逆転トライばかりが注目されがちですが、そこに至るまでの80分間、山田選手を含む全員が体を張り続けた結果でした。

特に山田選手のような「トライを取る選手」が、泥臭いディフェンスや密集戦でも体を張る姿は、チーム全体に勇気を与えました。「ファンタジスタ」でありながら、チームのために献身的に戦うことができる。それが2015年当時の山田章仁選手の真骨頂であり、日本代表躍進の隠れた要因の一つだったと言えるでしょう。

残念ながら、サモア戦でのトライの際に頭部を強打し、脳震盪の疑いでその後の試合には出場できませんでした。しかし、彼がこの大会で残したインパクトは計り知れません。たった2試合の出場でしたが、世界中のラグビーファンに「日本の14番は危険だ」と強烈に印象付けたのです。

怪我との戦い、そして次世代へのバトン

2015年ワールドカップでの活躍後も、山田選手は日本代表の中心選手として期待されました。しかし、激しいプレーの代償として、怪我との戦いも多くなっていきます。特にスピードを武器にする選手にとって、足の故障は致命的になりかねません。それでも彼は、リハビリを乗り越えて何度もグラウンドに戻ってきました。

2019年の日本開催ワールドカップに向けても意欲を見せていましたが、最終的なメンバーには選出されませんでした。福岡堅樹選手や松島幸太朗選手といった、より若い世代のウイングたちが台頭してきたことも理由の一つです。しかし、山田選手が切り拓いた「世界に通用する日本人ウイング」という道は、確実に後輩たちへと受け継がれました。

彼が2015年に見せた「世界を驚かせるプレー」は、日本のウイングたちに「自分たちもできるんだ」という大きな自信を与えました。現在、日本代表のバックス陣が世界レベルで活躍できている背景には、山田章仁という偉大な先駆者の存在があったことを忘れてはいけません。彼は自らのプレーで、日本ラグビーの可能性を大きく広げたのです。

代表チームからは離れましたが、彼のラグビー人生が終わったわけではありませんでした。むしろ、そこからさらに自由で、彼らしい挑戦的なキャリアが始まっていくことになります。代表という枠にとらわれない、一人のプロラグビー選手としての生き様を、彼はその後も見せ続けてくれるのです。

異色の経歴:アメフト挑戦から海外リーグまで

山田章仁選手を語る上で、「常識にとらわれない挑戦」は外せないキーワードです。ラグビー選手でありながらアメリカンフットボールのトップリーグに挑戦したり、単身で海外のプロリーグへ乗り込んだりと、その行動力は驚異的です。ここでは、彼のユニークすぎる経歴について深掘りしていきましょう。

現役ラグビー選手がアメフトへ?前代未聞の挑戦

2012年、山田選手は世間をあっと言わせる発表を行いました。なんと、ラグビーのトップリーグであるパナソニックワイルドナイツに所属しながら、アメリカンフットボールのXリーグ「ノジマ相模原ライズ」にも入団し、公式戦に出場するというのです。これは日本のスポーツ界において、極めて異例の「二刀流」挑戦でした。

この挑戦の背景には、彼の飽くなき向上心がありました。「異なる競技から何かを学び、それをラグビーに還元したい」という純粋な思いがあったのです。アメフト特有の戦術理解や、防具をつけた状態でのコンタクトスキル、一瞬のスピードの出し方など、彼はアメフトのフィールドで多くのことを吸収しようとしました。

実際に試合にも出場し、リターナーとしてボールを持って走る姿は、ラグビーファンだけでなくアメフトファンをも沸かせました。もちろん、両方の競技をトップレベルでこなすことは肉体的にも精神的にも過酷です。しかし、彼はそれを「楽しむ」という姿勢で乗り越えました。

この経験は、後の彼のラグビー人生に大きな影響を与えています。特に相手の動きを読む洞察力や、コンタクトの瞬間の体の使い方は、アメフトでの経験によってさらに洗練されたと言われています。固定観念に縛られず、自分の成長のために必要なことは何でもやる。このアメフト挑戦は、山田章仁というアスリートの柔軟性を象徴するエピソードです。

スーパーラグビー「サンウルブズ」と海外移籍

2016年から日本チームが参戦したスーパーラグビー「サンウルブズ」でも、山田選手は初期の中心メンバーとして活躍しました。南半球の強豪クラブが集う世界最高峰のリーグにおいて、彼は日本人最多トライを記録するなど、チームの得点源として奮闘しました。海外の大型選手たちを相手にしても、ステップとスピードで翻弄する姿は痛快そのものでした。

また、彼はサンウルブズ以外にも、海外クラブへの移籍を積極的に行ってきました。2015年にはオーストラリアの「ウェスタン・フォース」に加入。さらに2019年にはフランスのリヨン、2021年にはアメリカのメジャーリーグラグビー(MLR)である「シアトル・シーウルブズ」でもプレーしています。

特にアメリカでのプレーは、彼にとって長年の夢でもありました。ラグビー不毛の地と言われたアメリカで、プロリーグが立ち上がり、そこで日本人選手としてプレーすることには大きな意義がありました。彼は単にプレーするだけでなく、現地の文化に触れ、英語でのコミュニケーションを楽しみ、チームメイトと深い絆を築いていきました。

これらの海外経験は、彼の視野を大きく広げました。異なる文化、異なる戦術、異なるラグビー観に触れることで、プレーヤーとしての引き出しを増やしていったのです。また、海外での生活は、家族との絆を深める貴重な時間にもなりました。どこへ行っても適応し、自分の居場所を作ってしまう彼の人間力もまた、特筆すべき才能の一つです。

「今夜が山田」だけじゃない、メディアでの活躍

山田選手は、その明るいキャラクターと巧みなトークで、メディアでも引っ張りだこの存在です。バラエティ番組に出演すれば、芸人顔負けのコメントで笑いを取り、ラグビーの普及活動にも積極的に貢献しています。かつてのピン芸人のネタをもじった「今夜が山田」というフレーズを自ら使いこなし、親しみやすいキャラクターとしてお茶の間に浸透しました。

しかし、彼のメディア露出には明確な目的があります。それは「ラグビーを知らない人にも興味を持ってもらうこと」です。ラグビーはどうしてもルールが難しく、敷居が高いと思われがちです。そこで彼は、自らが広告塔となり、ラグビーの楽しさや選手の魅力を発信し続けているのです。

SNSの活用も非常に上手く、練習風景や試合の裏側だけでなく、家族とのプライベートな様子も積極的に公開しています。これにより、ファンは彼を「遠い存在のアスリート」ではなく、「身近で応援したくなる存在」として感じることができます。このプロデュース能力の高さも、現代のプロアスリートとして非常に重要なスキルです。

アメフト挑戦、海外移籍、メディア出演。これらすべてが、山田章仁という一人の人間を形成するピースとなっています。彼は単なる「ラグビーが上手い人」ではなく、「人生を楽しみ、挑戦し続けるエンターテイナー」なのです。その姿勢こそが、多くの人々を惹きつけてやまない理由なのでしょう。

プレースタイル:観客を魅了するエンターテイナー

山田章仁選手がなぜこれほどまでに人気があるのか。その最大の理由は、やはりそのプレースタイルにあります。見ていてワクワクする、次に何をするか分からない、そんな期待感を抱かせる選手はそう多くありません。ここでは、彼のプレーの特徴を技術的な視点も交えて解説します。

決定力抜群の「トライ・スコアリング・マシーン」

山田選手の代名詞といえば、圧倒的な決定力です。ゴールラインが見えた時の集中力と加速力は凄まじいものがあります。パスをもらった瞬間にトップスピードに乗る加速、そして相手ディフェンスのギャップ(隙間)を見つける動体視力は天性のものです。

彼は「トライの形」を豊富に持っています。独走トライはもちろん、相手を引きずりながらねじ込むパワープレー、キックパスをキャッチしてのトライ、そしてインターセプトからの独走など、どんな状況からでも得点を奪うことができます。まさに「トライ・スコアリング・マシーン」という異名にふさわしい活躍を見せてきました。

特にインターセプトは彼の得意技の一つです。相手のパスコースを読み、リスクを恐れずに飛び出してボールを奪うプレーは、試合の流れを一気に変える力を持っています。これは単なるギャンブルではなく、入念な相手分析と、長年の経験に裏打ちされた「読み」があるからこそできるプレーなのです。

変幻自在のステップと「回る」動き

山田選手のランニングスキルの中で最も特徴的なのが、変幻自在のステップワークです。相手の重心の逆を突く鋭いサイドステップに加え、独特のタイミングで繰り出される「グースステップ(減速して相手を惑わす動き)」は、ディフェンダーにとって悪夢のような存在です。

そして、前述したサモア戦のような「回転する動き」も彼の特徴です。タックルに来た相手の力を利用し、くるりと回って相手をかわす「スピンムーブ」は、ラグビーの教科書にはあまり載っていない動きかもしれません。しかし、彼はこれを実戦で使いこなし、幾度となく危機を脱出してきました。

これらの動きは、彼が常に「どうすれば相手を抜けるか」「どうすれば観客が喜ぶか」を考えているからこそ生まれるものです。型にはまらない自由な発想が、彼のプレーを唯一無二のものにしています。彼のランニングを見ていると、まるでダンスを踊っているかのような軽やかさを感じることさえあります。

メンタルの強さと「楽しむ」姿勢

技術的な高さもさることながら、山田選手の最大の武器はメンタルの強さかもしれません。どんな大舞台でも、どんなに厳しい状況でも、彼は常にラグビーを楽しんでいるように見えます。プレッシャーがかかる場面ほど、ニヤリと笑ってスーパープレーを見せる。そんな強心臓を持っています。

「失敗したらどうしよう」ではなく、「ここで決めたらかっこいい」と考えるポジティブ思考。これが彼のアグレッシブなプレーを支えています。ミスを恐れて消極的になるのではなく、常にチャレンジを選択する姿勢が、結果としてビッグプレーを生み出すのです。

また、ファンサービスへの意識も非常に高く、試合中であっても観客の声援に応えるようなパフォーマンスを見せることがあります。彼にとってグラウンドは「戦場」であると同時に「劇場」でもあるのでしょう。観客を楽しませ、自分も楽しむ。このプロフェッショナルな姿勢が、山田章仁という選手の魅力を最大限に引き出しています。

華麗なるプライベート:妻・ローラさんと4人の子供たち

山田章仁選手の魅力を語る上で、彼の素敵な家族の存在を忘れることはできません。モデルとして活躍する妻の山田ローラさんと、4人の可愛い子供たちとの生活は、SNSなどを通じて多くのファンに支持されています。ここでは、山田家の温かいエピソードや、家族に対する山田選手の想いを紹介します。

おしどり夫婦として知られる山田ローラさんとの絆

2015年、山田選手はモデルのエリナ・シルカ(現・山田ローラ)さんと結婚しました。アメリカ人の父と日本人の母を持つローラさんは、明るく知的な女性で、山田選手の良き理解者でありパートナーです。二人の出会いや仲睦まじい様子は度々メディアでも取り上げられ、ラグビー界きっての「おしどり夫婦」として知られています。

結婚当初から、ローラさんはアスリートである夫を食事面や精神面で献身的にサポートしてきました。「アスリートフードマイスター」の資格を持つ彼女が作る栄養満点の料理は、山田選手のパフォーマンス維持に大きく貢献しています。また、山田選手が海外遠征で家を空けることが多い中でも、彼女は持ち前の明るさで家庭を守り続けてきました。

二人の関係性が素敵だと感じるのは、お互いを尊重し合っているところです。山田選手はローラさんの仕事や個性を尊重し、ローラさんも山田選手の挑戦を全力で応援しています。夫婦対談や共演番組などでの掛け合いを見ていると、信頼関係の深さと、笑いの絶えない家庭環境が伝わってきます。

4人の子供たちと賑やかな山田家

山田家は現在、6人家族の大家族です。2016年に双子の男の子と女の子が誕生し、一気に賑やかになりました。その後、2020年に次女、2022年には三女が誕生し、現在は1男3女の4人の子供たちに恵まれています。

SNSには、子供たちと遊ぶ山田選手の「パパとしての顔」が度々アップされています。ラグビーボールを持って子供たちと走り回ったり、季節ごとのイベントを全力で楽しんだりする様子は、見ているだけで幸せな気分になります。特に2024年のクリスマスに公開された家族写真では、すっかり大きくなった子供たちに囲まれ、満面の笑みを浮かべる山田選手の姿が話題となりました。

子育てに関しても、山田選手は積極的に参加しています。遠征などで家にいない時間はありますが、一緒にいる時は全力で子供たちと向き合うのが彼のスタイル。子供たちにとって、強くて優しくて面白いパパは、自慢の存在に違いありません。双子のお子さんたちもラグビーに興味を持ち始めているという話もあり、将来が楽しみです。

ハワイ移住と家族ファーストのライフスタイル

山田家は一時期、家族でハワイに移住していたことでも知られています。山田選手が日本やアメリカでプレーする中、家族の拠点をハワイに置くという選択は、一般的には驚かれるものでした。しかし、これには「子供たちをのびのびと育てたい」「英語環境で教育を受けさせたい」という夫婦の教育方針や、家族の時間を大切にするための考えがありました。

日本とハワイを行き来する生活は大変だったはずですが、彼らはそれをポジティブに楽しんでいました。ハワイの自然の中で過ごす時間は、激しい競争社会に身を置く山田選手にとって、最高のリフレッシュになっていたことでしょう。

現在は拠点を日本(福岡)に移していますが、彼らの「家族ファースト」の姿勢は変わりません。山田選手が九州電力キューデンヴォルテクスへの移籍を決めた理由の一つにも、故郷である福岡で家族と共に暮らしたいという思いがあったと言われています。どんなにすごい選手であっても、一番大切なのは家族。そのブレない軸が、彼をより魅力的な人間にしています。

現在の所属と今後の展望:九州での新たな挑戦

数々の栄光を手にしてきた山田章仁選手ですが、彼の挑戦はまだ終わっていません。39歳を迎えた2024-2025シーズンも、彼は現役選手としてフィールドに立ち続けています。現在の所属チームでの様子や、これからの展望について見ていきましょう。

故郷・福岡へ凱旋!九州電力キューデンヴォルテクスでの活躍

2022年、山田選手は大きな決断を下しました。長年プレーした関東を離れ、故郷である福岡を本拠地とする「九州電力キューデンヴォルテクス」に移籍したのです。このニュースは、地元のラグビーファンを熱狂させました。「あの山田章仁が帰ってきた!」という喜びの声が九州中に響き渡りました。

九州電力キューデンヴォルテクスは、リーグワンのディビジョン2(2部相当)に所属するチームですが、昇格を目指して熱い戦いを繰り広げています。山田選手はこのチームで、ベテランとして若手を牽引する役割を担っています。もちろん、戦力としてもまだまだ健在です。ここぞという場面での決定力や、経験に基づいたプレーの引き出しは、チームにとって大きな武器となっています。

2024-2025シーズンも、彼は赤いジャージを身にまとい、ピッチを駆け回っています。年齢を感じさせないキレのある動きを見るたびに、彼がどれだけ節制し、トレーニングを積み重ねているかが分かります。地元・九州のために戦う彼の姿は、かつての派手なスター選手としての輝きに加え、円熟味を帯びた「頼れる男」のオーラを放っています。

ベテランとしての役割と地域貢献

現在の山田選手に求められているのは、単にトライを取ることだけではありません。豊富な国際経験やプロとしての心構えを、次世代の選手たちに伝えていくことも重要なミッションです。練習中から積極的に声を出し、若手選手にアドバイスを送る姿がよく見られます。

また、チームの顔として地域貢献活動にも力を入れています。ラグビー教室を開催したり、地元のイベントに参加したりと、ラグビーを通じた地域活性化に尽力しています。福岡はもともとラグビーが盛んな地域ですが、山田選手の存在がその熱をさらに高めていることは間違いありません。

彼は「九州からラグビーを盛り上げたい」と常々語っています。かつて自分がそうであったように、九州の子供たちがラグビーに夢を持ち、世界を目指すきっかけを作りたい。そんな思いを持って、彼は日々の活動に取り組んでいます。プレーヤーとしてだけでなく、一人の社会人としても、彼は地域にとって欠かせない存在となっています。

40歳を迎えるシーズン、その先に見据えるもの

1985年7月生まれの山田選手は、2025年の夏に40歳を迎えます。ラグビー選手として40歳まで現役を続けることは、並大抵のことではありません。強靭な肉体と、怪我をしないためのケア、そして何より「まだ上手くなりたい」という情熱が必要です。

引退の時期について語ることはまだありませんが、彼は常に「今」を全力で生きています。一年一年が勝負であり、一試合一試合が自身の集大成となるような覚悟でプレーしているように見えます。ファンとしては、一日でも長く彼のプレーを見ていたいと願うばかりです。

引退後のキャリアについても、様々な可能性が考えられます。指導者として後進を育てるのか、メディアを通じてラグビーの魅力を伝え続けるのか、あるいはビジネスの世界で新たな挑戦をするのか。どんな道を選んだとしても、山田章仁という男は、きっと私たちをワクワクさせてくれることでしょう。しかし今はまだ、グラウンドで輝く背番号14(あるいは11)を追いかけ続けたいと思います。

まとめ:山田章仁はこれからも走り続ける

まとめ
まとめ

山田章仁選手について、その経歴から現在の活躍まで詳しくご紹介してきました。5歳でラグビーを始め、小倉高校、慶應義塾大学、そしてプロの世界へと羽ばたいた彼は、常に「挑戦」という言葉を体現し続けてきました。2015年ワールドカップでの「忍者トライ」は、日本ラグビー史に残る名シーンとして語り継がれるでしょう。

彼が特別なのは、ラグビーの実力だけでなく、その生き方そのものが魅力的だからです。アメフトへの挑戦、海外リーグへの移籍、そして愛する家族との絆。すべてにおいて全力を注ぎ、楽しみながら道を切り拓いていく姿は、多くの人に勇気を与えています。

現在は九州電力キューデンヴォルテクスで、故郷への恩返しと新たな伝説作りに挑んでいます。もうすぐ40歳を迎えるベテランとなっても、その瞳は少年のように輝いたままです。「今夜が山田」の合言葉と共に、彼はこれからも私たちに驚きと感動を届け続けてくれるはずです。スタジアムで彼のプレーが見られる今のうちに、ぜひその勇姿を目に焼き付けてください。

山田章仁(やまだ あきひと)プロフィール

生年月日:1985年7月26日(39歳)
出身地:福岡県北九州市
身長/体重:181cm / 85kg
ポジション:WTB(ウィング)
所属チーム:九州電力キューデンヴォルテクス(2022年〜)
経歴:小倉高校 → 慶應義塾大学 → ホンダヒート → パナソニックワイルドナイツ → NTTコミュニケーションズ → シアトル・シーウルブズ → 九州電力
日本代表キャップ:25

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